1991年に、私が本財団を設立するに至った経緯についてお話しいたします。
昭和52年(1977年)に、私は東京都港区六本木で赤枝六本木診療所を開設し、産科婦人科の医療業務を開始しました。そして1982年に、日本初の水中出産を実践してその概要を報告し、多くのマスコミから取材を受けました。
そのなかで記者の一人が「日本の国際貢献は愛情がない」と吐露した一言がなぜか心に残り、この言葉に突き動かされるように、途上国への視察に出かけました。 
私は、パキスタン・アフガニスタン・バングラデシュ・ネパール・タイ・ロシアを訪れ、日本の国際貢献の現状を目の当たりにしました。とくにアフガニスタンでは難民キャンプを訪問し、日本アフガニスタン協会から紹介されたドクター・シャワリの勧めで医療活動のお手伝いもしてきました。
そうした海外視察では「やはり、日本の医療活動にも愛情がない」という実感が強くありました。そこで私は、「愛のある国際医療協力」を推進するために、国際的な医療貢献のできる医師を養成するための国際医科大学の創設を思い立ったのでした。
国際医科大学の設立に先立ち、まず大学の運営母体として赤枝医学研究財団を立ち上げることにしました。
財産のない私が財団法人を作ることはとんでもない発想で、当時、財団法人の設立には個人には巨額な基本財産が必要といわれておりました。私は、兄雄一の人脈から協力を得て銀行よりの借り入れで基本財産を準備して、厚生省(当時)から財団法人としての認可を頂きました。
財団設立の趣旨としましては、父、日出雄が長年取り組んでいた女性の不定愁訴に関し、その原因究明のための研究助成を目的としました。しかし一方で、設立を進めていた国際医科大学構想は、その後バブル崩壊に伴って残念ながら消失してしまいました。
赤枝医学研究財団は、研究助成が主体事業であったので、研究論文の選考委員の決定が重要な課題でありました。幸いにも高山雅臣教授(当時)や荒木勤教授(当時)のご推薦により、当初から10名の選考委員が決定し、荒木勤委員長のもとに選考委員会も発
足しました。
また、国際医療協力をこの財団の事業として加え、バングラデシュでの母乳促進事業に取り組みました。
私は、桶谷式母乳管理法研鑽会の協力を得て、母乳促進による乳幼児と母親の健康増進を目指しました。この事業は現在も発展的に継続されており、国立バングラデシュ母子保健センター(ICMH)内に開設した赤枝・桶谷母乳促進センターには、今もたくさんの
母親が母乳マッサージに通っています。
設立以来たゆまず継続している赤枝医学研究財団の事業活動によって、これまでに研究助成を受けた医療関係者は多数に及びます。今や彼らの中からは、様々な医療現場、各種の大学や研究機関などでも、指導的な立場で医学界全体をリードする人材も多く輩出されています。
こうした実績からも、赤枝医学研究財団の活動意義が高く評価されています。

初代理事長・現理事長、元衆議院議員
赤枝 恒雄

赤枝医学研究財団
初代理事長・現理事長
元衆議院議員
赤枝 恒雄

アフガニスタンの難民キャンプにて医療活動

アフガニスタンの難民キャンプにて医療活動

アフガニスタンでは難民キャンプを訪問し、日本アフガニスタン協会から紹介されたドクター・シャワリの勧めで医療活動のお手伝いを実施。


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